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教育カフェ・マラソン

これからの教育について熟議する教育カフェです。100回の開催を目指しています。

第25回 教育カフェ・マラソン 話題提供者 小竹めぐみさん

100回を目指す教育カフェマラソンも、4分の1を迎えることができました。

記念すべき、第25回の話題提供者は、「オトナノセナカ」の小竹めぐみさん。
今、何をされているのかという話ではなく、なぜ、どういう思いをもって、今の活動をされているのかというお話をしていただきました。

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お父さんに理解されないと思い、髪の毛も派手に染めて渋谷にいた高校生の時代を経て、人や環境のせいにするのではなく、自分が何をしたいのか、何ができるのかに向き合い、世界の国々を回って、家族のあり方をみつめてこられたそうです。
その経験を経て、お父さんとも向き合えるようになり、今は、対話を重視したさまざまなプログラムを展開されています。

小竹さんのお話を受けて、グループで熟議をしました。
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参加してくださった方が、いろんな意見を出してくださり、とても充実した時間になりました。
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話し合った内容をグループで発表していただき、最後に記念撮影をしました。
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人と人が出会い、つながっていける、教育カフェ・マラソンでありたいです。(M.F)
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  1. 2014/12/19(金) 14:56:02|
  2. 報告

第24回 教育カフェマラソン  牧口一二さん

雨の降る街角で、傘を振り回しながら歌って踊る映画「雨に唄えば(Singin' in the Rain)」のワンシーンから始まった教育カフェ・マラソン。電動車椅子で、傘を差しながら牧口一二(まきぐち いちじ)さんが登場しました。
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「車椅子に乗ると傘がさせるということが、自分にとっては大きな変化だった」というお話から始まりました。
何気なく「今日は雨かぁ…」とか「今日は晴れてよかったね」という会話がなされている日常では、雨はネガティブなものとされている。ところが雨がないと人は生きてはいけない、ということもまた周知のことです。
自分に障害がある方がいい、と思う人はなかなかいない。やはりマイナスのイメージがある。だけどそれは人間だから、プラスのことばかりではない、必ずどちらもあるものだ、ということでした。
最初の雨のたとえから考えると、「障害」もないと人間の世界は成り立たないということなのかもしれません。

このお話から、「障害者(と呼ばれる人)が1人もいなかったら」という問いが出ました。

また、映画で雨を目一杯楽しんでいる様子を見て、「障害を楽しもう!」と決めた、というお話も印象的でした。自分にある特徴を受け入れて楽しんでいくという姿勢という意味では、誰だって同じかもしれません。
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後半では、カンニング竹山さんが脳性麻痺の方のヘルパー体験をする、という企画をテレビ番組の映像で見ました。その障害者の方は、わがままばかり言っていつもヘルパーさんを困らせているということでした。実際の場面でも、言いたい放題言っている感じでしたが、それに答える竹山さんも言いたいことをそのままぶつけている感じのやりとりでした。
実はその後の感想で、竹山さんから「初めて対等に接することができた障害者だった」という言葉があったそうです。
この場面には放送後にいろんな意見が寄せられたそうですが、牧口さん自身はとても肯定的に捉えていらっしゃるようでした。対等に遠慮なくものが言えるということは大事なことです。

このお話から、「障害者と、接する人との関わりについて」というテーマが出てきました。

こうして出てきた2つの問いやテーマをもとに熟議の時間へと移っていきました。

熟議の中では、それぞれが障害のある方と接してきた経験や、いろんな話を聞いて感じることなどを出し合いました。

「障害者が1人もいなかったら」という話では、そもそもそんなことは有り得ないという意見や、それでも何かしらの区別ができて同じようになる、という意見もありました。
障害のある方がいてくれるお陰で、助け合うような気持ちが芽生えたり強くなったり、それぞれの役割ができるようになったり、いろんな恩恵がある、というような話も出ていました。
人間がプラスだけでは成り立たないのなら、どちらも必要で、それぞれがお互いに補い合って存在しているのかもしれません。普段は意識することがなくても、そんな風に素敵なバランスが保たれているようです。
「障害者と、接する人との関わりについて」のテーマでも、前のテーマに続いて肯定的な意見が多く出ていました。中でも「対等」という言葉がポイントになっているように感じました。そうして対等に関わる中でそれぞれの特徴を尊重し合って接していくことで、深まるものがあったり、視野や世界が広がったりします。人間関係において、非常に大切なことを学ぶことができる関わり合いなのかもしれません。
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最後に牧口さんは「ここに集まった人は意識が高い、という話がありましたが、意識が高い人ほど危険です」というお話もされていました。「考えてばかりで身体を使わないから」と。
実際にいろんなものに直接関わって向き合っていくこと、行動に移していくこと、形にしていくことの大切さも学ぶことができました。

もしかすると、人によっては普段はそれほど意識することのないような部分のお話だったかもしれません。だけど確実に存在していただいていて、だからこそ自分達もこうして元気に生きていけるのかもしれません。
そんな部分に思いを馳せることができた貴重な時間でした。
牧口さん、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。
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次回は11月21日(金)で、ゲストは小竹めぐみさん(NPO法人オトナノセナカ代表 フリーランス保育士)です。お楽しみに!
  1. 2014/10/17(金) 10:55:18|
  2. 報告

第23回 話題提供者 磯井純充さん(まちらいぶらりー提唱者)

第23回を迎える教育カフェマラソン、今回は磯井純充さん(まちライブラリー提唱者)をお迎えしました。

お話をいただく前にこどもの森学園を見学されたようで、

「素晴らしい学園。ここで育った子どもが将来どうなるか、とても楽しみ」

というお言葉から話題提供が始まりました。
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まずは磯井さんの略歴のお話。大阪は天満橋のご出身。

森ビルの社員だったという磯井さん(現在は森記念財団に出向)、1987年に「企業=教育機関」という森ビルの創始者・森泰吉郎さんの考え方に基づいた私塾「アーク都市塾」の設立に携わられました。

そのアーク都市塾の変遷を、階数と坪数の増加に合わせて、以下のようにお話されておりました。

【1987年・地下4階・20坪】
「アーク都市塾」
磯井さんには「使ってやるか!」という感じで声がかかった、というお話が。

【1996年・地上36階・450坪】
「アークアカデミーヒルズ」
磯井さんのアイデアによるもの。今で言うサテライトキャンパスのようなもの。

【2003年・地上49階・3000坪】
「六本木アカデミーヒルズ」
こちらも磯井さんのアイデアによる会員制ライブラリー。「天守閣」と表現されていたのが印象的でした。

IT化も進み、確かに先進性があり、そして何より実収益も増加していったものの、「顔の見える関係が極小化」していくことに不安があったそうです。地下から地上に上がっていくに従って「(人々から)目線が乖離」していく、とも。(「勘違いの始まり」だったという磯井さんのお言葉が大変印象的でした。)

そうした葛藤の中、磯井さんに転機が訪れます。

友廣裕一さんとの出会いです。同じく大阪生まれで、磯井さんよりだいぶ年下だそうですが、磯井さんは友廣さんを「師匠」と呼びます。

友廣さんは早稲田大学をご卒業後、「実際に地域って、どうなっているんだろう?」という想いから、(その土地その土地で農業、漁業のお手伝いをしながら)80以上の農村漁村をヒッチハイクなどで廻られた方。磯井さんも友廣さんと半年間、一緒に歩き回ったそうです。その際、友廣さんの「決して相手を値踏みしない」性格に(当時打算で物ごとを考えていた磯井さんと真逆だった、ということもあり)、大変心打たれたそうです。

また、友廣さんが教え子だったという友成真一さん(早稲田大学大学院教授)の「問題はタコツボ(組織)ではなくタコ(個人)だった」「マクロからミクロへ」といった、「自分経営」の考え方にも大変影響を受けたそうです。

略歴のお話、友廣さん、友成さんとの出会いのお話を伺っていて、森ビルの地下から「天守閣」にまで乖離してしまった磯井さんの目線が、また地上にすっと降りてくるような、そんな不思議な感覚に襲われました。

そんな磯井さんが提唱者となる「まちライブラリー」についてのお話に移ります。まちライブラリーは「個人的なスタンスで、暇つぶしで始めたら広まっていった」というお話から始まりました。昨年2013年にはグッドデザイン賞、Library of the yearを受賞しています。

「『図書館に人が来ない』ではなく『人が行くところに本を』」
「『有名人の(大規模な)講演会』ではなく『身近な人で教え合う学縁(がくえん)』」

を実践したのがまちライブラリー、とのご説明に、(六本木アカデミーヒルズのお話の際に「極小化」してしまったとおっしゃられていた)「顔の見える関係」というお言葉がふと頭をよぎりました。そして2010年、中央区平野町にある小さなビルの一室を改装して、最初のまちライブラリーが誕生しました。

基本的には、イベント→本集め(参加者の寄付)→棚作り→図書館、というのまちライブラリーの基本サイクルです。「人が行くところに本を」という理念通り、いずれも場所を問わないのが特徴で、

カフェの中、ゲストハウスの中、お寺の中、自然の中(BBQ付き)、歯医者さんの中(歯医者さんによるカクテル講座付き※ただし砂糖は使えないのでキシリトールで)、病院の中(待ち時間に読める病院スタッフ推薦本)、商店街の中、個人の家の中(亡くなった奥さんの蔵書を使ったライブラリー)・・・

と実に様々な事例が、たくさんの写真と共に紹介されました。ユニークな本棚はもちろんのこと、そこに集う人々の多様さがとりわけ目を引きました。「世代、性別、立場を越えた『図書館家族』が生まれつつあります」という磯井さんのお言葉通り、という印象でした。空っぽの本棚に参加費代わりに本を入れていくイベント「植本祭」のお話も大変興味深く拝聴しました。

話題提供の最後に、結論として磯井さんが主張されておりました、

「企業・大学・病院・図書館 ⇒ 利用者」という「一方的」な関係ではなく、
「企業・大学・病院・図書館 ⇔ 利用者」(「利用者 ⇔ 利用者」同士も含む)という「双方的」な関係へ

というお話、そしてその喩えとして挙げられていた、パンや味噌を発酵させる「酵母菌(=組織や社会を活性化させる、自立した個人、と私は理解しました)」のお話、「薬は飲むだけでは実は効かない、receptorがあって初めて効く」というお話、いずれにも、大きな「組織」の一枚岩な力よりも、小さな「個人」の多様な力(の集まり)の方がすごい(おもしろい)、という磯井さんの信念が現れているように思いました。

そうした話題提供を受けて、熟議は「どんな酵母菌になりたいか?」「本を使って、どんな人とのつながり方ができるか?」の2つのテーマで行われました。人が個人として輝き、そんな個人通しがつながっていく、様々なアイデアが飛び交いました。
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熟議の後に磯井さんのお話に出た「生物にとって最も必要なものは『多様性』」であり、その証拠に「書店のベストセラーランキングより、身近な人の頭の中にあるブックリストの方が、ずっと多様性に満ちているし、ずっとおもしろい」というお言葉を受け、今年の読書の秋は、誰か身近な人に推薦してもったものを読もうかしらと思いつつ、帰路につきました。今回も大変興味深いお話、誠にありがとうございました!
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  1. 2014/09/20(土) 10:31:29|
  2. 報告

第22回教育カフェ・マラソン~中塚 貴志さん07/18~

第22回の話題提供者は中塚貴志さんです。
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テーマは「場と人」
自宅のマンションをカフェとして住み開きしたり、
大学の構内に移動式のBARを作ったり、様々なプロジェクトに取り組んでいます。

アンチテーゼから出発するんです、と大学で建築を学んだ中塚さんは言いました。
建築を志す人には「建物というハードで素敵な空間を作って、
コミュニケーションを生み出したり、コミュニティを生み出したりする」ということに
熱くなっていて、自信を持っている人が多いそうです。
そこで考えます。
「ハードだけではコミュニティは生まれないのではないか」
そしてやってみます。
「ソフトな工夫だけでコミュニティを生み出そう」

そして、自分の住まいであるごく普通のマンションを住民に開放してみようと
考えたそうです。

そこから、どのように知ってもらうのか、どうやって来てもらうのか、
チラシを作ったり表札をデザインしたり、試行錯誤します。
その結果、住民同士のコミュニケーションが新たに生まれたり、
おすそ分けをもらえるようになったり、と確かな変化が見られたそうです。

新らしい人に来てもらうため、コミュニティを広げるためにも
場所を変えてみたり、広報のやり方を変えてみたり、実に様々な工夫を凝らしています。

Mobile BARは大学の中に現れる移動式のBARです。
産学連携なんて言葉もあるけど、そもそも大学内で異なる研究テーマで学ぶ学生同士の
交流が少ないと感じ、タテのつながりではなくヨコのつながり、
「学学連携」をしよう、という考えで、交流しやすい場所としてBARを作ったのです。

”なければつくればいい”

この発想は大事だなと思いました。

このプロジェクトでは移動式のBARを実際に作るので、
設計から材料集め、実際の組み立てなど、いろんな工程が必要です。
そこで、後輩に設計をお願いしたり、材木屋さんにお願いしたり、
自分のやりたいことのために、多くの人を巻き込んできます。

こういう姿勢はとても大切で、これができるからこそ、
一人ではできないようなこともできて、自分の思いが現実化していきます。

更に今は、やりたいという後輩に運営を任せているそうです。
こうして継承していくことで、思いは続いていきます。

・伝えようとすること
・つくること
・連携(協働)すること
(頼むこと・頼ること)

改めて大切だと感じました。

その他にも、斬新で本質的な視点から実に様々なプロジェクトを動かしています。
残りの時間で簡単に説明していただきました。

その後は、2つのグループに分かれて熟議に臨みました。
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テーマは「自分の好きな場所とそこでの体験」
「人と人のコミュニケーションを生み出すアイデア」です。

自分の好きな場所ではそれぞれば思い入れのある場所を紹介しました。
それに理由を付けることで、場を好きになる要素について検討していきます。

目的がなく、何をしてもいい、ただいるだけでいいというような空間、
ありのままでいれる「ホーム感」がある場所がいい、というのが印象的でした。
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「人と人のコミュニケーションを生み出すアイデア」では、
自分の好きな場所や、他の人の好きな場所の話を参考に
いろんなアイデアを出し合いました。

今回は、いつもの「深める」というイメージの熟議とはひと味違いましたが、
皆さんがいきいきと体験を語って、場のよさについて真剣に考えている様子も
印象的で、活気のある対話ができて、本当に面白かったです。

中塚さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
(中塚さんのcafe303のページ:http://cafe303.tumblr.com/)
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次回は9月19日(金)、話題提供者は「まちライブラリー」の提唱者
磯井純充さんです。
お楽しみに!
(J.S.)
  1. 2014/07/22(火) 10:36:48|
  2. 報告

第21回教育カフェ・マラソン ~宇都宮誠さん

第21回教育カフェ・マラソンは、宇都宮誠さん(生野学園 学園長)をお迎えしました。

話題提供では、(宇都宮さんのお話にも出た言葉ですが)とにかく「自問自答」に満ちた半生が語られました。
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宇都宮さんが幼い頃、家では牛を50頭くらい飼っていて、その乳搾りを任されており、それを終えないと学校に行かせてもらえないので、早く済ませようと牛を急かした結果、暴れられて牛の糞まみれで学校に行くこともあった…というお話で笑いを誘っておられました。

さらっとお話されておりましたが、宇都宮さんの人生観・教育観の中に「そこに匂い(臭い、かもしれません)があるべき」という信念ができた発端のように、個人的には思いました。大学は法学部に進学し、そこである程度勉強したものの…「法律ほどおもしろくないものはない!」と思い至った背景にもそれがあるように思いました。

在学中にお弁当屋さんのアルバイトをしたらハマってしまって、気づいたら貯金が100万を超え、外国に行ってみることにした宇都宮さん。「いちばん遠いから」という理由で行き先に選んだブラジルでは、不慣れなポルトガル語ではレストランで注文もできない、という不安な状況でヒッチハイクを繰り返しているうちに、治安の悪い街にたどり着くこともあり、危険な目にも遭った一方で、そこにいる人たち、とりわけ子どもたちの目はキラキラと輝いていて、「生きるって何だろう?」と自問自答の日々を過ごしていた、というお話、大変興味深くお伺いしました。

そんな人々の輝きに惹かれたのか、ブラジルで生きよう!ブラジルに永住したい!とブラジルをバスで移動中に決意された宇都宮さんでしたが、大学4年のとき、祖父の死、親友の自殺と、いろんなことが重なってしまい、ブラジルに永住してよいものか、かなり悩んだそうです。お母様には泣かれてしまったとのこと。

悩んだ結果、「人のために何かしたい」という思いから、福祉を学ぼうともう一度大学に編入することにしたそうです。4回生になるとき、ある老人ホームの変わり者の園長に誘われ、そこでお手伝いをする日々に。仕事は痴呆老人の介護で、一緒にお風呂入ったり、おしめを替えたり(※)。でも「人と付き合って、そういうのがいい」と思った宇都宮さんは、そのまま老人ホームに就職しました。

老人ホームでは徘徊老人にとにかく苦労し(夜中に10キロは歩くのだそう)、一緒に付いていくのがとにかく大変で、老人の皆さまに睡眠薬を…というきっかけで、生野学園創設の中心人物でもあります、森下一先生(精神科医)と運命の出会いを果たします。

老人ホームでは、(まだ若いのに)パネラー、講演会、いろいろさせられる日々で、ここでも宇都宮さんは自問自答です…「若造がおじいちゃんに『指導』って…自分に何ができんねん!」と自らの限界を感じた、というお話に大変心打たれました。指導、登壇、を繰り返すうちに増長しそうな若者の方が多い気がする一方、宇都宮さんはその真逆で、「指導、講演…?そんな生意気な、1から出直そう、勉強し直そう!」と強く思い、「ホンモノの人―森下一先生―についていく」という決心に至るその考えの道筋、大変感動しました。

当時森下先生は不登校の子どもたちの診察をしており、そのお手伝いをすることになった宇都宮さん。週1回1時間ほど、家庭訪問をして、不登校の子どもたち、親たちと話をする。その際、自分の価値観の狭さを痛感した、というお話にも、これまで伺った宇都宮さんの人柄が表れているように思いました(ネタがなくなると歌を歌ったりもしたのだそうです)。
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そんな不登校の子どもたちのために「学校を作ろう!」と寄付を募って回ったところ、何と4億円ほど集めることが!「バブルだったこともあり」とおっしゃっていましたが、「自由って何かな、生きるって何かな」と不登校の子どもたち、親たちとの出会いを通じて、ずっと問い続けてきた宇都宮さん他関係者の皆さまの熱意の結果だと思いました。

一方で、「自分に与えられるものはそんなにない」、という気づきにも至った宇都宮さん、親鸞の「自然(じねん)」という言葉を引きつつ、上から物を語るのではなく、ありのまま、正直に問いただすことの必要を説かれていました。子どもが、いろんな生き方、いろんな価値観、とりわけ「正直な人」「人格者」に「出会う力」、それができる「コミュニケーション力」、そうした力が子どもたちの「生きる力」につながる…そのためには、「気持ちの上で自由」な子たちを育てていかなければ、という主張、とりわけ「気持ちの上で自由」というお言葉に大変惹かれました。

のびのびと、いっぱい失敗して、そんな子どもに「本気で向き合う」大人、「役割」ではなく「自分」を生きる大人、それを「伝える」こと、「見せる」こと…それがいかに大切か、というお話で話題提供は締めくくられました。

熟議ではこの話を受けて「自分を生きるとは何?」「自分を生きることで、子どもは何を受けとるか?受けとるものは何だろう?」という2つのテーマで行ないました。
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元々客観的に見ることが難しい「自分」について、参加者それぞれの独特な見方を知ることができたことに加え、そんな「自分」から子どもが受けとるものは、言語的なものより、非言語的なもの(私のいた班では「毛穴(から醸す雰囲気)」と呼ばれてました)では、という指摘に大変刺激を受けました。
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最後のご挨拶で特に印象的だったのは、「学園長のくせに、と『褒め言葉』をよくいただきます」というお言葉でした。本当に、「役割」(や肩書き)ではなく、「自分」に正直であろうというその姿勢、今後何度となく思い返すことになりそうです。本当にありがとうございました。
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※そういう仕事はぜんぜん平気でしたが、入れ歯の洗濯のときの臭いはキツかったそうです…なんて「正直な」方なのだろう、と思いました!
  1. 2014/06/18(水) 17:17:55|
  2. 報告
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